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ふく百話(80)

「ふくと我が人生 8」市長だけどふく(副)市長

2009年(平成21年)春、再挑戦で下関市長に就任しました。59歳、多くの市民の応援で、なれるはずがなかった市長になれました。

人生「塞翁が馬」の言葉とともに市長の仕事が始まりました。人生には様々なことがあります。それらを肯定的に捉え、たとえ自分に不都合なことがあっても、その出来事には意味があると考える。それをプラス思考でとらえ、前に向かって進むだけでした。資金不足でお金が使えない。しがらみのない市長誕生です。

今日から市長と勇んで乗り込んだ市役所でした。「元気朝礼」を市役所に取り入れるべく、元気な挨拶、返事、幸せの言葉、市民の為に頑張ろうコール等、市長が手本を示しお客様である市民サービスを行おうとしました。総部担当幹部から規則を示され市役所内では大きな声を出してはいけない。よって頑張ろうコールはやめて頂きたい。また「幸せのことば」、ありがとう、感謝します、おかげさまです、運が良いです、幸せです。これにも反発があり「運が良いです、幸せです」等と市長から言って欲しくないというものでした。私は強制したことはなく、これは感謝の言葉です。出来事を肯定的にとらえ、市民の為に力を合わせ一緒に働こう。挨拶運動は議会でも取り上げられましたが強行しました。

毎朝市長が参加し進行する秘書課の朝礼に始まり、数か月後には市役所中が大きな声で朝の挨拶をするようになり、市民や訪問客を驚かし、喜ばれました。

次の問題は議会でした。議員の多くは私の対抗馬を応援していましたので、当初は市長に冷たい議会でした。吉川副市長選任もひと悶着ありました。

一番の問題は「市役所建て替え」です。海峡のまち下関のシンボルである市役所は唐戸から動かさない。建て替えも反対で資金は市民生活に使うべきだという中尾市長の公約だったのです。この公約は長く私を苦しめましたが、議会にも徐々に市長応援派が増え、良好関係となりました。

市長の仕事は数えきれないほど沢山あります。8年間の思い出は多すぎて書ききれません。事業の成功は市長を支えてくれた市役所職員のおかげです。

8年間、体調を崩して休んだことは1回もありません。妻の健康管理に感謝、丈夫に生んでくれた両親に感謝、市長の仕事を支えた秘書課職員に感謝です。

中尾市長の特色は都市経営です。外国との貿易重視で港の整備、独立採算での病院経営、水産・農業都市振興、様々な産業振興等です。特に教育行政は波佐間教育長とハード、ソフト整備。消防局、中央消防署は金子消防局長。市役所建て替え、4町総合支所の整備で市民サービスの充実。豊北道の駅「北浦街道ほうほく」は日本一、ボートレースは本間副市長、山田局長の尽力で大幅な黒字化。

下関の動物はくじら、鳥はペンギンに指定等が印象に残っています。

「ふく」との関係も多くありました。新規採用職員に対するふく料理教室。

下関市の新人職員は全員がふく刺しを作ることができます。部長会懇親会は市長指導の下、全部長がふく刺しを自ら作り、その後は懇親会です。特に力を入れたのが国から派遣の職員です。東京に帰れば下関ふくの大応援団です。時には国県の出先機関の皆さんに「ふく料理教室」で自ら作っていただき、大いに懇親が深まりました。業界と一緒に市長講師の市民ふく料理教室も良く開催しました。

市役所にこられたお客様には一般的な話が終われば話題を「ふく」の話に切り替えます。名刺は市長作製のふく刺しが印刷されたものです。参加者に合わせ様々なふくの話題をお話します。外国から来られたお客様にも同様です。

全国中核市市長会を下関で引き受けた時は、グランドホテルで私がふく刺しを実演し、その後、各テーブルにふく刺しが運ばれました。来賓の全国市長会会長が全国の会合で下関では市長がふく刺しを実演し持て成したと好評でした。

海外でも韓国・釜山、中国・青島、トルコ・イスタンブール、アメリカ・ピッツバーグ、イタリア・ミラノでも様々機会があり世界でただ一人のふく処理免許を持った市長と紹介されました。それらの活動の結果、下関市観光課の職員が考え付いたのが冒頭の「市長だけどふく(副)市長」です。お客様に差し上げる観光パンフの袋には刺身包丁を持ったエプロン姿のマンガと市長作製のふく刺しが印刷されていました。中尾市長は「下関ふく」に大いに助けられました。