ふく百話(83)
「豊後の一心太助」
大分県佐伯市葛(かずら)港に中嶋水産�蠅箸いβ膽蟲�類養殖、水産加工業者がおられました。創業者は中嶋一太氏、南九州水産業界のドンとして自他ともに認めていた人物です。人呼んで「豊後の一心太助」と言われました。
佐伯市は歌手、鳥羽一郎の大ヒット曲「男の港」の舞台となったまち、そして中嶋一太氏がこの歌のモデルなのです。「男の港」一番を紹介します。
「板子一枚 命をはった 男 度胸の海が呼ぶ 競う船出を送ってくれるありがとう 浜千鳥の群れよ 豊後 鶴見崎 男の港」
この歌に出てくる「鶴見」には大分県を代表する魚市場があります。水産団地の一角に、中嶋一太氏の魚市場開場の功績をたたえた記念碑が設置されています。
中嶋氏はふくを大量に直接、取り扱った人物ではありませんが小野英雄、歴代の下関唐戸魚市場(株)社長、九州地区の魚市場社長人事、そして中尾友昭に大きな影響を与えた人物です。
小野英雄より年上だったこともあり兄貴分として良く付き合っていました。
下関へもよく来られました。下関での思い出は、後援会長をしていた鳥羽一郎さんと同伴でした。市内の料亭で会食時、中嶋氏は小野社長に、小野さん今日はあなたに土産を持ってきたといって真新しい「のこぎり」を手渡しました。
のこは引くときに切れるようになっている。小野さんの行動力は素晴らしいが、時には、引くことも大切じゃ。この、のこぎりをあなたにプレゼントします。
当時わたしは総務担当の一職員、中嶋氏に名前を覚えていただける身分ではなく、「おい 総務」が私の名前でした。
時は過ぎ、小野英雄が逝去、下関唐戸魚市場(株)の社長も山田氏から松村氏へ交代した時期、それまで権勢を誇り鮮魚の売り上げでは下関唐戸魚市場(株)を超えていた中嶋水産�蠅�倒産したのです。
負債総額41億円、全国の水産業界、大分県でも大きなニュースとなりました。
私が市長選挙に落選して2年が経過した頃でした。下関唐戸魚市場(株)松村社長から債権者側の代表として中嶋水産の社長になってくれないかと頼まれたのです。お世話になっている松村社長の頼みなので引き受けました。
闇金融などに多額の借金があれば私も責任を問われると覚悟しましたが、幸い大きな債権者は大分銀行を始めとする金融機関でした。民事再生法で再建計画が認められ、41億円もの負債が4億円に切り下げられたのです。社長の中嶋一太氏は退任、息子の新一氏は社員に格下げとなり私が社長に就任しました。
中嶋新一氏は東京水産大学卒業のエリートで大分県青年会議所会長まで務めた経済人でした。中嶋のおやじ、私たちは敬愛の気持ちを込めて呼んでいました。その、おやじさんから今度は「おい 総務」から中尾社長と呼ばれました。
中嶋水産は10キロのブランド「ぶりトロ」やタイの養殖を行っていました。
中尾税理士事務所所長、下関唐戸魚市場(株)関連会社のハートフーズ21副社長、それに加え中嶋水産社長と多忙を極めましたが、一生懸命取り組みました。
再建計画が認められ中嶋親子と東京で居酒屋を貸し切り、ご縁のある取引先を招待しました。卸売会社幹部、大手得意先のスーパー幹部も来られました。
中嶋一太氏の大きな影響力を感じた中嶋水産再建、社長就任の出張でした。
佐伯には良く泊まりました。あるとき息子の新一氏にふく料理をご馳走になりました。ふく料理は珍しくありませんが、大きな絵皿の真ん中に茶色の塊がのっていました。これは何ですかと尋ねたら、「ふくの肝」です。メニューには載っていませんが、ここでは良く食べています。ふくの肝を食べて良い種類は一つもありませんと私が言うと、この地方では昔からよく食べている「食文化」ですと言うのです。なるほど「ふく肝が食文化」かと少し感心しました。その時は少し食べ、その後は食べたことはありません。市長就任後も何度か佐伯を訪問しました。イルカの畜養施設視察やボートレース場外船券売り場を大分市や佐伯市に設置できないかと相談しました。大分市はかなり良いところまで行きましたが市長辞任後、挫折しました。市長在任中に中嶋一太氏は逝去されました。
現在、社長となった新一氏は社名を変更しマグロの養殖に特化しています。

