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ふく百話(86)

「ふく鍋隊」

平成7年(1995年)1月17日、午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生しました。今年は震災から28年になり被災者を追悼する行事が各地で開催されました。当時、私の弟が神戸製鋼所に勤務しており被災しました。当日、弟から無事だと電話があり一安心しましたがその後は1週間、音信不通で心配しました。弟は会社あげて被災者救助をしたということです。がれきの中から被災者を引き出したり、会社の災害支援物資を届けたり、夜は会社の床で寝ました。

各公園は被災家具や火災のがれきで、見るも無残な光景でした。

そのような状況を見て、松村久元下関ふく連盟会長が被災地支援に動きました。

業界から資金、資材を募り、友人の運送会社グループと連携をとり「ふく鍋隊」を組織、食料、鍋、釜、燃料、支援物資等を大型トラックへ積み込み、被災地へ向かいました。水が不足し仲卸人の活魚水槽車が活躍しました。隊員はサンデンバスの新型大型バス、トイレ付を無償提供していただきました。

当初は被災地にたどり着くのも大きな苦労がありました。支援センターでは全国のボランティア団体の行き先が予め決められていて、ふく鍋隊は二日連続で小学校運動場でした。一角に機材を設置、ふく味噌汁の炊き出しを行いました。寒い中、ふく鍋が多くの被災者の体と心を温めました。支援物資は学校指示のもと保健室や図書館に運び込んだということです。

私も一度、市内トラック業者の保冷車に同乗して神戸へ炊き出しに行きました。

一面焼け野原のガレキ置き場を通過、体育館の運動場に鍋を設置、共同生活者に提供しました。どこから来たのかと問われ、下関ですと答えました。遠いところをありがとうございます。美味しいですと皆さんに感謝されました。

松村元会長の話では、この大震災後、ふく業界が大きく変化したということです。それはリーマンショックの関係もあるが消費が伸びなくなったのです。大きなふくを関西人は好んでいたのに少し小さくても安い方が良い。そして肉質の良いものが欲しいということで、注文が厳しくなりました。震災で消費低迷になったのです。1月の震災なので春には落ち着くかと思ったら、そのまま悪い流れが続きました。養殖ふくが一番高値で取引されていた時期なので、まだまだ消費は伸びるし相場にも期待がありましたが急に元気がなくなったのです。

仲卸業者、養殖業者も震災だから仕方がないとあきらめましたが、その次のシーズンも安値が続いたのです。

その後震災は新潟、福岡、東北、熊本と続きました。松村さんは阪神にふく鍋を持参したので他の県にもふく鍋で元気になっていただきたいと仲間と出かけ、皆さんに喜んでいただきました。

下関ではかなり前から、ふく鍋の取り組みがありました。最大のものは下関さかな祭りの「スーパージャンボふく鍋」です。最大1万人分を炊くことができます。ふくの切り身は下関ふく連盟提供、燃料のガスは地元大手の西日本液化ガスの無償提供です。これに加え、地元味噌屋、トーフ屋、容器屋など勢ぞろいです。その後、1万人分ではあまりに多いので小分けの200人のうどん用鍋が登場しました。様々なイベントで活躍しました。

当初は、イベントのたびに業者から借りていましたが私が担当になって、鍋、釜を下関唐戸魚市場(株)で準備しました。その後は、専用の倉庫を南風泊市場に整備し各団体に貸し出し各種イベントで活躍中です。

大きな祭りでのふく鍋登場は、下関さかなまつり、海峡まつり、海響マラソン、ふくの日まつりを含め、大規模飲食イベントにはふく鍋が登場します。

最近はふく鍋に加え、くじら鍋、アンコウ鍋も登場しています。