ふく百話(31)
「林孝介さんとふく」
元商工会議所会頭の林孝介氏がご逝去されました。享年89歳でした。ご冥福をお祈りするとともに生前のご功績に深甚なる敬意を表します。
今回は「林孝介さんとふく」の話です。林孝介さんが会議所会頭の時期、小野英雄は副会頭として活躍しました。下関経済が今より元気な時で市に勢いがあったと思います。林さんはサンデン交通、大津屋の社長はじめ、多くの団体等の役員を歴任されました。訃報を報じた11月29日付け山口新聞では林さんの会頭時代の功績として「唐戸地区フィッシャーマンズワーフ開業、あるかぽーと開発推進、駅前開発プロジェクト完成等街の賑わい作りと交流人口の増加に大きな役割を果たした」とあります。この記事を見て我が意を得たりと思いました。
私が林孝介さんと親しくさせていただいたきっかけは平成3年の山口県中小企業経営者協会(中経協)主催のカナダ・アメリカ東海岸ウオーターフロント再開発視察団からです。林さんが団長でした。カナダのハリファックスを始めとしてアメリカのボストン、マイアミ、ボルチモア、フィアデルフィア、ニューヨークを視察しました。帰国後の提言書が現在の下関駅から唐戸へいたるウオーターフロント再開発の基となっているのです。ふくとの関係でいえば、ニューヨークのレストラン日本で倉岡社長に下関ふく輸出組合長の親書代読が中尾友昭でその立会人が団長の林孝介さんでした。平成5年小野英雄死去。唐戸市場の建て替えとその跡地のフィッシャーマンズワーフ(観光魚市場、カモンワーフ設立)は小野英雄の夢でした。私はその事業を小野の遺言と心に深く刻み、実現に向けて励みました。カモンワーフ設立への向けて当初は商店街活性化事業として取り組みました。予算を頂き、事務局、会議室は商工会議所にお世話になりました。会合で林孝介さんの会うたびに中尾さん、「フィッシャーマンズワーフは(進捗)どうですか」と独特の言い回しでいつも尋ねられました。おかげさまで順調に進んでいますというのが私のいつもの返答でした。平成12年、下関唐戸魚市場(株)の資本金4千万円を1億円に増資、その資金を基に1億円出資、カモンワーフの資本金を2億2千万円も集めて設立できました。今から思っても中尾友昭一世一代のウルトラCでした。中尾の進める事業は会社を潰す行為だと反対も多かったですが松村専務(当時)や賛同者の応援が勝りました。商工会議所、出資して頂いた山口銀行、西日本信用金庫の応援も力強かったです。カモンワーフは当初は「ふく横丁」のような屋台村を目指しましたが現在の形に落ち着きました。朝の唐戸市場、昼・夜のカモンワーフが目標でした。唐戸市場の馬関街が思った以上に繁盛して現在があります。
私は平成11年市議会議員、下関唐戸魚市場(株)常務、大学院生と多忙を極めていましたが、その分、各プロジェクトへの集中力がありました。平成13年新唐戸市場開場、ふく展示世界一の新水族館開館。14年カモンワーフ・オープン。15年県議会議員就任と開発・選挙ラッシュの年月でした。
私は南風泊市場の机に小野英雄の写真を置いて「おじさん、見ていてください。そして見守って下さい。おじさんの夢を必ず実現します。」と心の中で唱えていました。この間、商工会議所林孝介会頭の影響は大きかったです。
もう一つは平成26年の駅前開発プロジェクトです。これも林孝介会頭とサンデン交通の協力が大きく貢献しました。下関市、JR西日本、商業開発、シーモール、大丸、サンデン交通の権利関係、商工会議所、加えて応援の地元金融機関山口銀行、西中国信用金庫それぞれが複雑にからみあい迷路状態でした。私が市長に当選した平成21年には市役所を新下関周辺に移転する計画が進んでおり、国から中心市街地から市役所を移転する下関市には駅前開発の補助金は一切支給しないと事業は完全にストップしていました。
市役所は動かさないから始まり、市役所職員の総合力で複雑にからみあった各事業の調整に成功して今があります。JRビル3Fの「ふくふく子供館」は大盛況です。当初撤退届を持参したシネコンも盛況です。サンデンバスも便利になりました。これら一連の事業も商工会議所林孝介会頭の応援の賜物です。