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ふく百話(63)

「三国清三さんと下関ふく」

私の尊敬する料理人に日本を代表するフランス料理「オテル・デュ・ミクニ」
オーナーシェフの三国清三(みくに・きよみ)さんがおられます。フランス政府からフランス料理を世界に広めた功労者として勲章を頂いた方です。

市長時代のことです。職員研修時に使用する資料を収集していました。たまたま目にした日経新聞の特集記事「仕事力」というのがありました。それによると三国さんは北海道増毛町生まれ(過疎の町で近年、JR線が廃止になりました)。昔はニシン漁で栄えた町です。父親が漁師でありましたが生活は貧しく、学校へもっていく弁当にはおかずがほとんど入っていなかったのです。しかし、母親の料理と素材のおかげで自然が持つ、味の力強さ、豊かさがその舌に刻み込まれたのです。小学生ながら父親が漁獲したアワビを少しでも高値にと料理屋さんに売り歩きました。皿洗いの手伝いをして親しくなったのです。その時の厨房での料理の匂いが原点です。15歳で料理人の道を目指し、札幌の夜間料理学校へ通いながら札幌グランドホテルでアルバイトしました。大きな鍋は仕事が終わってから皆で洗うのですが、三国青年は上を目指したいという気持ちが強かったので、皆がやろうとした頃には一人で全てを洗い終わっており、こいつはなかなかやるなと認められました。18歳になり東京帝国ホテルに入社しました。コックだけで600人もいて、ここでも担当は鍋洗いです。料理の世界では先輩が教えてくれるということは少ないようで、厨房に身をおきながら先輩の技を盗み、それを自力で身に着けていきます。2年間、鍋洗いの中で、村上料理長の目に留まり、テレビ番組出演の助手をすることとなりました。

その時、村上料理長が三国さんの塩ふりを見て抜擢してくれました。村上料理長推薦で「スイスの日本大使館付料理長」として派遣されたのです。三国さんはまだ20歳でした。大使夫人からはあまりに若いので大丈夫ですかと村上料理長に相談があったそうです。村上料理長からは三国は大丈夫ですと太鼓判です。この時、料理の世界は格闘技と同じ、出来たものが勝つと確信したそうです。

欧州での修業を得て帰国しフランス料理店「オテル・デュ・ミクニ」を31歳で立ち上げました。日本での実績はほとんどなく、資金もゼロでした。しかし、レストランを作りたいという気持ちは強かったのです。その時、助けてくれた恩人から「信用と腕とお金」のうち二つそろえば店はできる、君には信用と腕があるではないかと言われました。三国さんはフランス料理をつくるのではなく、三国の料理を作るのだという信念で味噌、醤油、鰹節まで使いました。

当初、三国の料理はフランス料理ではないと評価されませんでした。ところが世界中で味噌や醤油を使う時代となり、三国さんの料理はニューヨーク、香港、フランス等で話題となり高い評価を受けるようになりました。そのような不遇の時代を過ごした三国さんを10代の頃から支えたのが松下幸之助のベストセラー著書「道をひらく」でした。この本は自分に向かれて書かれている本だ。

チャンスというのは準備していないとつかめない。チャンスに気づく心と技を渾身の準備をしておきなさいというのが本の教えです。私は三国さんと自分の人生を重ね合わせ、市役所の新規採用職員全員に「道をひらく」を渡し、今回の話を研修時に紹介しました。市長は選挙があり、いつまでも皆さんと一緒に仕事はできないが、この先、長い市役所職員時代に困難に出会うこともあると思うが、その時は、この本を開いてください。必ず解決策が見つかると思います。

東京に出張した時、店を訪ねたことがあります。三国さんは不在でしたが名刺を渡し「道をひらく」を職員研修に使っていること、下関ふくの伝道者を目指していることなど支配人にお伝えしました。

日経新聞の「仕事力」ではもうひとつ、北海道出身の三国さんに大きな影響を与えたのがクラーク博士の「青年よ、大志を抱け」です。言葉が教えてくれる、あふれるような強い生き方がきっと人の背中を押すのだと思います。どの仕事でも本質は自分のすべてで学び抜くこと。そこから本当の道は見えてくるのでしょうと語っています。その後、ご縁ができました。三国さんは毎年1度、福岡の調理師学校で講演をされ、帰路、友人を訪ねて門司までこられていること。

そして「ふく」が何より好物であることがわかりました。ふく連盟事務局が調整して、下関にて松村連盟会長と中尾市長とでお会いしました。ふく談義に話が弾み、三国さんは「下関ふく」の大応援団になりました。特に松村会長特製の「ヒレ酒」に感激され、何杯もお代わりされました。フランス料理シェフなら「ワイン」と思っていましたが、日本酒とふくの大ファンでした。私は「道をひらく」の表紙にサインをして頂きました。「一見便覧」。ひとつわかればすべてわかるということです。あるとき、日経新聞に下関ふくとのご縁を紹介して頂きました。そのような交流があり、下関観光大使に任命させていただきました。

下関ふく連盟が松村会長の時「下関ふく文化読本」という書籍が発行されました。本の中で三国さんは「とらふくの厚切りカルパッチョ赤酢味」と「とらふくの1匹ローストトリュフと人参の軽い煮込み添え」を紹介されています。

ふくの美味しさを丸ごと存分に味わおうと考えました。私が作る料理は和の食材を使ってもあくまでも「フレンチ」。フォークとナイフでいただくことを想定して、カルパッチョのふくは厚き切りにしてあります。食べ慣れた薄切りのテッサも美味しいですが、厚切りにすると、また違ったふくの魅力が感じられます。

1匹丸ごとのローストは、ジビエ料理のようです。皿で泳ぐふくの姿が印象的です。「火を通して新鮮、形を変えて自然」という私の料理理念が現れた1皿になっています。和食の華「ふく」ですが世界料理は広いと改めて思いました。