ふく百話(66)
「大阪のフグ事情について」
西日本ふく研究会15周年記念誌に大阪水産物卸ふく組合代表幹事、木畑水産代表の、木畑清さんが「大阪のフグ事情について」講演されました。現役の皆さんはほとんど知らない内容なので、記録のため概要を紹介します。
昭和20年から昭和30年頃、フグは下関からは入らず、萩から入っていました。厚狭(山陽本線)で積み込まれ、特急あさかぜ号で筵(むしろ)にくるまれ、セリの前日の晩に入荷しました。日韓条約締結後の昭和37〜38年頃、一気に下関にフグが入るようになって、大阪へ木箱で送られるようになりました。
千箱も運ぶこともありました。全て〆魚でした。昭和40年代の初めになると、活魚が入るようになりました。天然活魚は一匹一匹に個性があり、すぐに死ぬため丁寧に扱いました。相場も大きく変動し、100万円儲けたり、損したり。昭和47〜50年頃、韓国から下関へ〆物が空輸されました。大きさに大小あり、大きいもので1、5キロ。大阪では大きいものを鍋専門業者が引き取り、小さいものは東京へ送っていました。
昭和50〜55年になると、中国物が入ってくるようになりました。中国漁船は大連沖で獲り続け、魚が溜まると母船で港に揚げる。当時は設備も悪いし、水もない。取り扱いが滅茶苦茶で、選別しない。良質なトラフグの品質を悪くして持ち帰る。その上、緩慢冷凍で日本へ輸出していました。トラフグ資源が枯渇したのは中国船の底引きで根こそぎやられたためではないかと思います。延縄でやれば残ります。
しばらくすると畜養が始まりました。春に成魚を漁獲して秋まで飼育し、冬に天然物が少なくなるのを見計らって、高値の時に出荷していました。天草、阿久根、若狭湾の畜養物が大阪の中央市場に入荷するようになりました。大阪の場合、ふぐ鍋には白子が絶対必要で、白子のない鍋なんて考えられません。畜養物の場合、産卵期に近い3〜4月に漁獲しほとんど雄のため白子があり、市場ニーズとマッチして畜養物に力を入れていました。しかし、そのうち熊本、天草方面のトラフグ資源が減少し、畜養するフグも無くなってしまいました。
最近は三河湾から御前崎にかけてフグがたくさん獲れるようになってきました。昔、鳥羽付近で獲れていたものは本当に天然物でしたが、最近の物は放流魚ではないかと思っています。肉質がべちゃべちゃで本当の天然物とは違う感じです。本年(2003)の4月、5月は広島、岡山でフグが豊漁でした。秋は伊勢湾、三河、御前崎のフグが中央市場に入荷しています。11月になってやっと下関から入ってきました。原因はわかりませんが最近は少ないです。
今まではトラフグの話でしたが、ここ10年近く、カラスを見かけなくなりました。なぜカラスがいなくなったのか、ここに参加されている先生方にお聞きしたいです。
次に養殖フグについてです。ここ10年くらい前にいけす料理ブームとなりました。これは養殖フグが出てきたことによると思います。天然物もありますが、料理屋は養殖物を使います。理由は養殖物は生け簀にいれておいても死なないからです。料理屋の親方が言うには、養殖物は取り上げて捌いて、すぐにお客に出すと、身が光っています。それだけお客さまには美味しく思えます。養殖物はフグの大衆化に大きな功績を上げました。しかし、天然物は下火になってしまうのは大阪のフグ屋として残念に思います。今後、天然物をどのように販売したら良いのか考えているところです。
その後、参加者との質疑応答がありました。静岡水産試験場から、昨年の漁期は三重県から静岡県まで豊漁でした。年間400トン水揚げがありました。大阪市場に出荷されましたが肉質の良い評価が得られませんでした。他の産地のものと比べ何割くらい安かったのでしょうか。
木畑さんは自分の勘として、出荷量の三分の二は下関へ、残りが大阪です。値段は下関が1万円なら6掛けが良いところでしょう。
最後に、木畑さんから今回セミナーでの発表は現場で実際にさばいて料理をしている者にしかわからない感想ですと答えられました。