ふく百話(94)
「産地の盛衰 養殖物」
昭和52年(1977年)10月1日、南風泊市場に初めて養殖ふくが入荷した記念すべき日です。この日を境に養殖ふくの時代へ幕が開きました。
出荷者は山口県大島郡の中森水産。2週間で5千匹販売。大きさは600〜700グラムの小型でしたが値段は高く、1キロ7千円でした。
入荷した当初は肉質が良くなく評価は低かったです。加えて天然物生産者からは批判が多く、小野社長がテレビで養殖ふくも美味しいと宣伝をしていたとかいろいろ非難を受けました。天然物の激減、養殖ふく全盛をみるといつの時代も、いろいろな出来事も大きな流れの中での歴史の一コマだと実感します。
初入荷の前年、小野社長と松村部長は山口県漁連の紹介で愛媛県宇和島市でのふく養殖を視察しました。半信半疑の小野英雄は現場を見て驚き、「松村 これからはこの時代になるぞ」と言われたそうです。
その後、漁場の変遷がありました。長崎佐世保の吉田水産。当時は自然環境に近いと評価の高かった築堤式で養殖するも失敗。愛媛県今治市の菊川勝美さんが長崎県五島で大規模築堤式養殖を行うも、失敗。
両社の原因はよくわかりませんが、ふく養殖の難しさが浮き彫りになりました。
この頃、稚魚生産はエヒメ水産が独占でしたが、山口県の水産試験場ではそれ以前から成功していました。
長崎県五島、玉之浦漁協で小割イカダでの生産が始まりました。自然環境の良さも相まって、ブランドとして確立しました。私は帳面付係でしたが仲卸人がこぞって「玉之浦」を希望したのを覚えています。
南風泊市場はふく専門市場で大量のふくを一度に集荷できる強みがあります。
五島列島からは大型活魚運搬船で輸送、ふく市場の強みが発揮できました。
昭和55年1月22日、城山観光事故。奄美大島(冬場でも20度)で養殖された1、3キロの大型養殖トラフグ1万4千匹が関門海峡の低水温9度によって到着後、徐々に死滅しました。1キロ7千円の時代、1匹1万円で総額1億5千万円の規模です。小野社長と担当の松村氏がいち早く鹿児島の城山観光ホテル社長、保直次氏に被害見舞いに行きました。その誠意が認められ、以後の出荷へとつながりました。城山観光ホテル水産事業部は魚体の大きさ、出荷量の多さから全国に城山旋風を起こしました。博多へも直販店を出しました。
同じころ、奄美大島では城山観光と同規模で天草養魚も養殖をしていました。
平成になって萩地区のふく延縄船が廃船となる中、新たな活路として阿武町奈古のふく延べ縄生産者がふくやヒラメの養殖を始めました。この地区の業者は夏のシイラ漁で混獲されるヒラソの稚魚をイカダで養殖していました。
親子で取り組み漁業再構築のモデルケースとなりました。
海外でのふく養殖も盛んになりました。昭和50年代に韓国で始まりました。
その後、中国、台湾でも始まりました。中国の福建省からは活魚運搬船で南風泊市場へ入荷しました。中国では土池で養殖でした。冬場は凍結するので陸上施設で越冬です。春に再度、池に放流して秋に出荷です。肉質は地域によってばらつきがありましたがどこも餌の品質・管理が悪く、加えて長期にわたる池の使用で環境の悪化、異臭ふくが生産されたり、ホルマリンの過剰使用で我が国の業界従業員がひどい手荒れに苦しむ等、問題が多かったです。その後、改善され力のある業者が我が国への輸出をまとめるなどしました。近年は往時の勢いはなくなりました。また中国国内では我が国に生息しないメフグの生産が行われ、消費されているようです。
平成7年(1995)、南風泊市場における天然物と養殖物の取り扱い金額が逆転しました。その後は全国が養殖ふくにシフトしていきました。
平成7年1月17日の阪神大震災後、ふく業界は大きな転機を迎えたと元下関唐戸魚市場(株)社長の松村久氏は振り返ります。この年の初めは高値で取引されていたふくが、地震後、一転安値となりました。消費が伸びなくなったのと同時に産地から消費地へ直接出荷が始まったのです。下関独占のふく業界の城が崩れるのではと予感がしたそうです。
大型の天然トラフグを好んでいた大阪が接待交際費の縮減から小型のふくが好まれるようになり、天然物より価格が安定しているとして養殖物を取扱い、
さらにその流れを助けたのが活魚トラックの活躍でした。
下関が養殖ふくの集荷販売で他者に後れを取ったのは活魚トラックに原因があったと松村氏は分析しています。輸送時間の長短や設備の良い車は着荷に影響するのです。南風泊市場は海に隣接しており海水も新鮮です。加えて大量の活魚水槽、海上イカダにも恵まれていました。厳しい環境の場所に比べ、研究が足りなかったと松村氏の反省です。
平成7年、ホルマリン事件発生。熊本県から長崎県へと被害が拡大しました。
長崎県佐世保の谷川水産との取引が活発化しました。
平成8年、養殖ふくの生産が盛んであった熊本県天草に集荷出張所を開設しました。松村専務の英断でした。そのおかげで集荷がスムーズになりました。
私も在職中の常務時代、業者による魚体品評会の審査員として呼ばれ、その後、ふく料理教室の講師を務めました。出荷先の魚市場から役員が行くと喜ばれました。
現在は熊本県天草町の小川水産が日本一の生産規模です。自社で稚魚生産、海上と陸上で養殖。出荷は魚市場、加工業者、料理店等です。自社でミガキ加工を行っています。山口県では長門市の安藤建設が陸上で養殖しています。