ふく百話(74)
「坂東三津五郎事件」
1975年(昭和50年)1月16日、歌舞伎役者の八代目、人間国宝の坂東三津五郎さん(享年69歳)がフグ中毒により死亡、世間を騒がせました。
坂東三津五郎さんは前年から京都ロイヤルホテルに滞在。正月公演「お吟さま」に出演、大入りで中日を迎えた日でした。夜の部を終えて、ひいき筋と料亭「政」でフグ料理を食べたのです。
同席したのは、祇園の舞妓さんはじめ6人。当時、関西の料亭では食通のお客がくると肝や白子を出すところが多かったのです。「政」でもフグ調理師免許を持つ板場さんが刺身と一緒に肝を出したのです。
京都府フグ取り扱い条例では、フグの有毒部分である卵巣、肝臓、胃、腸などを提供してはならないと規制しています。たとえ客から注文されても条例のみならず法律の食品衛生法からも違法でした。
しかし、板場さんは注文を断り切れず3人に提供したのです。ここでもし、三津五郎さんが1人前しか食べなかったなら命拾いしていたかもわかりません。三津五郎さんは「うまい、うまい」とフグ肝を4人前も食べたのです。
ふく毒には致死量があります。よく言われるのは1万マウスユニットです。
ハツカネズミ1万匹を殺す毒量で人間は死亡するというものです。この時、一人前しか食べなかった他の二人は影響がなかったのです。その後、ホテルに戻ったのが夜の11時ごろ、部屋にいた妻に美味しいふく料理を食べた。特に肝は美味しかった。まるで身体がふわふわ飛んでいるようだと上機嫌で話したそうです。ところが夜中に容態が急変、立ち上がることができない、水を飲むコップも持てなかったそうです。ただちにホテル駐在の医師の診断を受け、フグ中毒の疑いで救急搬送されました。しかし、すでに手遅れで早朝に死去されました。
三津五郎さんが亡くなったことで歌舞伎界に大きな衝撃が走り、死因がフグであったことから多くの人が議論することとなりました。
この事件の影響で南風泊市場では「ふく」のセリ値が半値以下に暴落、安値は10日間続きました。怒った生産者が漁獲したふくを海に投げすてようとした事件も起こりました。また、日本舞踊坂東流の名取を目指していた小野英雄は踊りを辞めようと思ったそうです。
京都署は条例違反で料理屋「政」を10日間の営業禁止。調理人を業務上過失致死の疑いで取り調べました。この事件は刑事裁判となりました。危険を承知でフグ肝4人前を食べた坂東三津五郎さんがいけなかったのか、調理師の包丁さばきがいけなかったのかでした。法廷では「もう一皿、もう一皿」とせがむ三津五郎さんに板場が渋々料理を出したこと等が争点となりました。
この裁判では「渋った」板前が調理を「誤った」ことに変わりはないとして業務上過失致死罪と京都府条例違反で執行猶予付き、禁固刑の有罪でした。
厚労省の統計によると1974年は1年間でフグ中毒が51件発生、27人が亡くなりました。最近の統計ではフグ中毒者は年間20件前後、死亡者は1〜2名です。事件当時はフグ中毒が多かった時代です。たぶん天然物がそれだけ多かったことによるものと思われます。その後、国・県の指導によるフグ有毒部位の提供禁止が徹底されフグ中毒が減少したのです。
この記事の執筆中、下関市でフグ中毒が発生しました。報道によると唐戸市場で行商人が仕入れたミガキと肝を販売、それを客が自宅で味噌汁にして夫と二人で食べました。肝を食べた80代の女性がフグ中毒になったのです。緊急搬送され幸い命にはかかわりませんでしたが、嘔吐、全身のしびれ、呼吸困難があり危険な状態でした。フグの種類は「カナフグ」とありました。
私は南風泊市場で「カナフグ」を何度か見かけましたが珍しいフグです。
類似するサバフグ(シロとクロの二種類あります)の肝を食している人はかなりいます。またドクサバフグはもちろんサバフグであっても南方海域から流れてきたものは筋肉にも毒性があります。注意しなければなりません。この事件で下関市保健種は唐戸市場の業者と行商の業者を営業停止処分としました。どの種類であっても肝は食べてはいけません。何度も繰り返されるフグ中毒です。