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ふく百話(15)

「古代人のふく食」

我々の祖先はいつごろからふくを食しているのか。この話題は下関にとどまらず全国、また世界へと広がります。下関市にもある弥生時代の遺跡(紀元前4世紀から紀元3世紀ごろ)からはふくの骨の化石がよく出土しています。くちばしが焦げているので、弥生人は焼いて食べたのではといわれています。ふくの丸焼き、美味しかったことと思います。弥生人はなかなかグルメなのです。

下関市には全国で唯一の「水産」を冠とした水産大学校があります。この大学に昔、多部田修というふくを専門に研究する教授がおられ私は南風泊市場における弟子でした。先生が所有されていた「弥生時代のふくの歯の化石」をお借りしてレプリカを作成しました。焦げ目もしっかりついていました。先生の教え子の鈴木君は卒業論文に「ふくの歯」を研究し先生の紹介で下関唐戸魚市場(株)に入社しました。ふくの研究はその後も継続し松村元社長とともに人工ふ化も行いました。私の憧れの水産大学校増殖学科卒業です。

私は下関商業高校時代、将来に夢を持てず多くの時間を無駄に過ごしてしまいました。持参の弁当は2時限終了後に食べてしまい、昼はまたパン等を購入して食べました。今では大好きな歴史が2年で世界史、3年で日本史とありました。

教科書は山川出版社でした。しかし2回も食事をしたので昼からは睡魔が襲い先生の歴史の話が、まるで子守唄に聞こえ気が付けば授業終了のチャイムがなっていました。全くもったいない時を過ごしたと反省し、いまだにそれを返し続けている人生です。それで社会人になってから歴史を幾度も学びなおしています。その中で歴史書専門の山川出版から出版されている「もう一度読む山川の日本史」という本があります。

その7ページにふくに関する記述があります。時は縄文時代中期で4500年前の話です。縄文文化は数千年にわたって日本列島に栄え、日本民族と文化の原型はこの時代に作られたと考えられています。「縄文人の家族」という一節で、「千葉県市川市の姥山貝塚では、縄文中期の竪穴住居跡の床面から、5人の人骨が発見された。人骨は成人男性2体、成人女性1体、未成年者1体が一か所に折り重なっており、やや離れて老年女性が1体倒れていた。これらの人骨は埋葬されていなかったところから、たとえば「フグ中毒」のようなもので同時に死亡し、近所の人々も恐ろしさのあまり、手をつけずにおいたものと考えられる。5体の人骨は、おそらく一つの家族であろう。成年男性のうち一人と成年女性は夫婦であり、老年女性はそのいずれかの母親、未成年者は子であろう。これは縄文人が一つの住居に3世代ほどの小家族で同居していたことを示す例といえる」(原文のママ)。断定はされていませんが、古代人のフグ中毒、ロマンを感じます。