ふく百話(16)
「世界一のふく像」
亀山八幡宮の境内に「世界一のふく像」が設置され関門海峡を行きかう船を見守っています。戦前には社殿に向かって右側の階段途中(現在、床屋発祥の地の石碑があります。)にふくの銅像がありました。昭和10年10月、関門ふく交友会によって建立されました。産地は愛知県岡崎市です。波に乗っている姿から波乗りふくと呼ばれていました。それが戦中の昭和19年に金属供出で撤去されたのです。戦後、業界の中で再建を望む声もありましたが時が流れました。動きがあったのは昭和の終り頃からです。小野英雄が社長に就任し様々なふくを盛り上げる仕掛けを作りました。昭和54年9月29日より亀山八幡宮境内にて「秋のふく祭り」を開始しました。当時は現在の平面駐車場に建物があり屋上がイベント広場でした。大変賑わいました。ふくの供養祭はありましたがシーズン初めの、ふく祭りを作ろうと小野のアイデアでした。それが発端となって平成元年「ふく銅像再建委員会」が発足しました。私も事務局の一員として当初から参画しました。発起人には業界の唐戸仲卸人組合、山口県漁連、商工会議所、亀山八幡宮はじめ、泉田市長も参加されました。
小野英雄の頭の中には銅像の再建計画が当初からあったことと思います。
建立は平成2年9月29日(秋のふく祭り、ふくの日)です。製作は下関市民会館玄関に銅像を寄贈された橋元才平氏の紹介で富山県高岡市の竹中製作所です。
橋元さんによると、歴史あるふく銅像は、ふくの街下関のシンボルとして下関にはなくてはならないもの、その再建が私どもの悲願ですと小野から言われたそうです。(小野の談話、橋元さんの談話は小野英雄「ふくに生きる」に記事があります。小野による題字「ふく像」、古川薫さんの「銘文」も設置されました。亀山八幡宮に設置する前に市民にお披露目しようという小野の発案でしばらくJR下関駅構内に展示されました。
その時の小野の談話です。「戦争中に供出された亀山様のふく銅像を再建することは、そのお膝元で商売する我々の念願でした。たくさんの人々の浄財でそれを実現することができ感無量です。出来上がったときには、思わず抱きつこうかと思いました。海上から空に飛翔しようとする、ふくのように下関のまちの「ふくの神」になってもらいたいものです。」
完成後、亀山八幡宮から完成を祈念して横断幕を作ります。ついては日本一のふくの像としたいがいかがですかと問い合わせがありました。私は自分の判断で即座に、国内外から多くの観光客も来られるでしょうから「世界一」にして下さいとお願いしました。小野社長には事後報告しました。