ふく百話(44)
「ふくちょうちん」
「ふくちょうちん」といえば、下関の特産みやげ品です。日本国語大辞典「河豚提灯」によれば「トラフグなどの背に穴をあけ、皮を傷つけないように体内の身を取り去って皮をふくらませ、かわかして作ったちょうちん」とあります。
ネット検索ではまず「お祭り提灯」がヒットします。その中でふくに関しては、主には居酒屋用で和紙、ビニール、ポリ製があります。看板名は「ふぐ」「とらふぐ」「てっちり」などです。その他、民芸品の部類では本物のフグを加工したものから様々なフググッヅまで数え切れないくらい何万点もあります。
その中で本物の「ふくちょうちん」は超小型の500円から超大型の10万円まで幅広いです。市長時代、下関沖合人工島に初入港した大型クルーズ船入港セレモニーで「特大ふくちょうちん」を船主に贈呈しました。
本物のふくを使った下関名産品の前に、思い出に残る「ふぐちょうちん」の話を一つ。それは大阪・新世界のフグ料理店「づぼらや」の巨大ふぐちょうちんです。皆さんもご覧になったことがあると思いますが、新世界のふぐ専門店「づぼらや」に吊り下げられていた長さ5メートル、幅3メートルの巨大看板です。
大幅に道路にはみ出し、違法状態でしたが、あまりにも人気が高く、観光客誘致の観点から大阪市は黙認していました。
私は南風泊市場時代、出張で大阪に行ったとき、づぼらやを訪問しました。
店は大衆食堂のようでした。驚いたのは客が多いので準備しているのか、注文すれば何でもすぐに出てきたことです。てっさ、てっちり、白子焼きなど1品の値段はそれなりですが、二人前づつ注文すれば普通のフルコースの値段になります。印象に残っているのは「ポン酢」です。養殖ふくの刺身だったのですが、このポン酢がとても良く合いました。このポン酢ならどのようなふく刺しも美味しく食べられると感心しました。お店特性の果汁ポン酢でした。当時、果汁ポン酢は珍しく、橙を使った酸っぱいタレが一般的でした。
残念ながらお店は2020年9月に新型コロナウイルス感染拡大で営業自粛したまま閉店に至りました。撤去に際し大阪市の松井市長は、長年違法状態を黙認していたことを認めた上で、看板ではなくオブジェとしての存続を希望しました。撤去された巨大ふぐちょうちんは、近くのレジャー施設から展示の引き合いが来たそうですが現在は倉庫で眠っているようです。づぼらやさんは1920年創業以来100年続いた店でした。写真を見ましたら店先に垂れ幕が掲げられ「皆様お元気で、ほな!さいなら」とありました。
次は本物の「ふくちょうちん」の話です。
下関に昔は数軒の製造所がありました。南風泊市場勤務時代、西山町にも業者がおられ市場にあがった珍しいフグを持って行っては剥製にしてもらいました。
その多くは海響館のふくコーナーができた時に寄贈しました。最近では中之町の酒井商店のみです。このお店がふくちょうちん発祥の店です。初代、酒井徳市氏が考案しました。神奈川県の江ノ島で魚のはく製を見て考え付いたということです。製作開始は戦後のようです。一時はアメリカまで需要がありました。
現三代目が就任した平成11年頃には商品の高騰であまり売れなくなり、お店も酒井商店のみになりました。その後地道に営業努力を重ね、マスコミに取り上げられ、需要が増加しお土産に売れるようになりました。製造工程はなかなか複雑で酒井さんのエッセーによれば(1)フグの背部の皮に包丁であまり大きくない切れ目を入れる。(2)切れ目から身と内臓を取り出す。(3)処理した皮を水に漬けて血抜きをする。(4)切れ目からもみ殻を詰め込んで成型する。(5)天日干しをして乾燥させる。(6)皮の切れ目からもみ殻を抜く。(7)仕上げをする。このうち(2)と(4)の工程は熟練を必要とする。天日干しなので天候に左右され完成までに時間がかかる。
ふくちょうちん製造はふく問屋の夏場対策で始まりました。天然ものだけの時代、ふく料理店は夏休みです。職人のために初代が考え付いたのです。