ふく百話(68)
「ゆらぐブランド」
ふく研究で博士といわれる方々は、いろいろな専門分野があります。自然科学方面が多いように思われますが今回の先生は水産経済学、フグ流通経済の博士です。濱田英嗣先生。高崎大学経済学部卒業、九州大学農学部で博士号を取得。
長崎大学助教授、東京水産大学助教授、下関市立大学教授、現在は摂南大学教授。
専門は水産経済学。2008年、下関市立大学にフグ研究の拠点「フク資料室」を開設。国内外の研究者と「フグ産業研究会」を立ち上げ、下関フグのブランド力探求を研究。従来のフグ研究は毒や生態系など自然科学的なアプローチが主体であるが、新たな研究拠点を設け、経済学や歴史学といった社会・人文科学の新しいアプローチを加えて深く研究することを課題としている。
濱田先生とはいささかご縁があります。東京水産大学在職中、ふくの話で大学を訪問、濱田先生と出会ったのが始まりです。その日は元水産大学校の中居教授とともに品川で焼き鳥をご馳走になりました。下関市立大学教授として着任された時には再会を喜び会いました。先生は我が国における、ふく流通研究の第一人者としてご活躍されています。私が市立大学大学院修士課程で研究した4年間は主査教授としてご指導を受けました。ふく流通経済研究の恩師です。
20周年では「下関フグのブランド経済学」を講演されました。以下、要旨です。
フグ流通経済の過去20年を振り返れば、第一の最も大きな変化は養殖フグが流通の主役に躍り出たこと。フグ養殖はブリのように高い歩留まりには至らず、供給の不安定さはあるが養殖技術の向上により年間4000トンの供給ができる水準に達し品質も向上している。
第二の変化は、この養殖フグを活用した格安チェーン店が大阪、東京で急成長を遂げたこと。格安チェーン店の躍進で強調したいのは伝統的なフグ料理屋とマネジメントが全く異なり、安価な料理メニューで不特定多数の顧客を取り組み資本回転率を高めることで企業成長を狙う新たなビジネスモデルを構築したこと。そして仕入は卸売市場を利用しない、産直方式。
第三の変化は、フグ食文化の「ゆらぎ」。真のフグ料理は流通業者による品定め(目利き)、ミガキフグの熟成、専門調理人によるフグ刺技術、絵皿への盛り付けなど、長期にわたる研鑽と工夫が凝縮された料理です。
いわば、品質的価値と文化的価値が総合された料理なのです。大衆市場化はこれらの文化的価値をそぎ落して実現されている。経済学に価格を唯一無二の価値体系とした社会において「文化の香り」が次第に消滅する「産業文明化」の構造的指摘がある。フグ流通が低価格化、大衆市場化という大波を受けていると判断している。すでに、ブリ、マダイ関係業界は、大衆市場化へ巻き込まれて苦しんでいる。かっての高級食材が現在はスーパーの特売品となっている。
販売市場は拡大したかも知れないが、ブリ、マダイが大衆市場化して誰が社会経済的にメリットを享受したのでしょう。天然ブリ、天然マダイは一部ブランド品を除き養殖物に押されて低価格です。熾烈な価格競争によって業者数はピーク時の30%くらいに減少しました。さらに一番問題なのは、低価格で喜ぶはずの消費者が、すでにブリやマダイを有難がって食べなくなっている点にある。
工業製品の低価格化で多数の消費者は消費者満足度を高めるが、食料品は低価格化することで工業製品同様に消費者満足度が高まるか否か、疑問のあるところです。確かに経済学理論は低価格化により消費者利益が増大するから論理的に大衆化を是としている。しかし、フグ大衆市場化に対して単純に低価格料金で食することは、フグの需要層が広がり、いいことだという判断だけで対応するのではなく、プラス、マイナス双方の影響を認識する必要がある。なぜなら、今後フグの大衆市場化がどの程度進展するかによって、フグに対する消費者のイメージが大きく下落するのか、それともこれまで通り高級イメージを維持できるのかフグビジネスに大きな影響が及ぶ論点です。
フグの流通経済は茶の流通と本質的に似ている点が多い。最も大きな類似点はフグも茶も「流通技術」がブランド形成に大きな要素となっている点。まずフグでは品質を見極め、価値評価する「目利き」と「磨き処理」が生産過程を含めた商品化段階で最も重視される。大間のマグロや佐賀関のアジなどのブランド魚が独占地理的な条件に規定されているのに対し、フグにおいては卓越した流通技術がブランド価値を形成している。同様に、お茶も品質評価機能とブレンディングによってブランド価値が形成されている。流通技術が価値形成に決定的な役割を果たしているという意味で両者は近似の商品である。
その茶流通にペットボトル茶という大衆市場化の波が押し寄せた。しかし、大衆市場化にもかかわらず、古来の格式、伝統に沿って宇治茶など高級茶にも根強い消費者ニーズがある。茶の流通市場化に対し定番品と高級品を品ぞろえし、質と量の両面で対処している。今日に至る茶業界の繁栄は、流通技術を徹底的に磨き、ペットボトル茶や煎茶に止まらない、玉露というロイヤルブランドを開発していたことが基調となっている。
東京都のフグ流通の規制緩和がなされた。今後、フグ流通は活発化し、大衆市場化がさらに進展するだろう。一方で、フグの健全な流通経済発展に向けてロイヤルブランドの品揃えが必要ではないか。その意味でも、今後フグ業界が進むべき方向に関する一つの道標として産業組織論的にも近似している茶産業の動向を注視することを勧めたい。