ふく百話(36)
「芭蕉・一茶・魯山人のふく賛歌」
ふくの魅力をネットで検索すると上記三人の有名人の話がよく出てきます。
松尾芭蕉(1644〜1694)、小林一茶(1763〜1828)、北大路魯山人(1883〜1959)。それぞれ生きた時代は異なりますが「ふく」に関して一家言ある方々です。
松尾芭蕉は江戸時代前期の俳諧師です。俳諧を蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風として確立し、後世では俳聖として世界的に知られた人物です。日本史上最高の俳諧師の一人です。「奥の細道」や「古い池や蛙飛び込む水の音」などで有名です。芭蕉は長年ふくを避けてきたと言われています。それは「ふぐ禁止令」のあった時代、武家の調理人をしていたこともあるようです。読まれた句は「あら何ともや昨日は過ぎて河豚汁」。当時はどこまで毒についての知識があったのか定かではありませんが、たぶん身は大丈夫という体験のなかでも、ふくと汁(幕末の長州までふく刺しはなく、料理は汁です。)は嫌だという気持ちでしょう。「河豚汁や鯛もあるのに無分別」の句はかなり批判的です。
小林一茶は北信濃に生まれ、小林家は地元では有力な農民でしたが複雑な家庭事情で幼少期から恵まれない境遇でした。25歳の頃から葛飾派の俳諧師として頭角をあらわし独自の「一茶調」と呼ばれる作風を確立しました。晩年も不幸でしたが明治時代になって注目されるようになり、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳人として評価が固まりました。有名な句に「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」、「めでたさ中くらいなりおらが春」などがあります。一茶は農民の出なのでフグ毒を用心して50歳になるまで食べなかったようです。ところが「五十にて ふくの味を知る 夜かな」、「ふぐ食わぬ 奴にはみせな 富士の山」とふくを絶賛、ふく好きに大変身したのです。
北大路魯山人は画家、陶芸家、書道家、料理人、美食家など様々な顔をもった
明治から昭和にかけて活躍した人物です。有名な漫画「美味しんぼ」に登場する美食家・海原雄山のモデルと言われています。魯山人をうならせた食材こそ「ふく」なのです。もちろん大好物です。そのためふくに関する著作はたくさんあります。エッセー「魯山人の食卓」の「河豚は毒魚か」の冒頭は「河豚のおいしさというものは実に断然たるものだと私は言い切る」そしてこの文章の後段は「ふぐにも美味しい、まずいといろいろあるが、私が言っているのは「下関ふぐの上等品のことである」と続いているのです。下関が繁栄していた頃の話です。さすが「下関ふく」の歴史は凄いと改めて感心しました。